2005.04.16 Saturday
悲しい子育て
作家の清川妙さんが「ふだん堪えていてもふとしたことで涙つぼの蓋が開く」という意味合いのことを書いていらして,私はものすごく共感したことがあるのだけれど、
まさにそれで、こうしていろんな経験をし、息子のことで悩みながらも日々,私はまあまあ幸せに生きており、当の息子自身は元からとても幸せで、それが何よりなのだと幼稚園の先生に言われたのに、泣きたくなることがあった。
息子の一つ上の学年,この春から小1になっている子でやはり同じ広汎性発達障害の男の子がいた。
その子は息子と違ってものすごく口が達者で、私はそれが羨ましかったのだけれど、話している内容をよく聞いたことはない。
覚えているのは息子が最初になつき、私も心から尊敬している保育主任の先生のことを一途に求めていて、他の先生にあやされながら,数分の間に何回も「ねえ、○○先生は?○○先生はどこなの?○○先生に会いたいよ」と言い続けていたことだ。ああやっぱりあの先生は愛されるんだなあと思いながら聞いていたのだが、ついこの間伺えば,その子がやはり対人関係において障害があることを周りの子らに理解してもらい、優しく広い心で包んでもらおうにも,何か想い通りに行かないことがあると「ばかばか!お前なんか消えちまえ!」「死んじまえ!」と叫ぶので、なかなかうまくいかなかった…とのこと。
そう聞いて,言葉もないほどショックを受けた。
入園当初からそれがもう口癖になっていたと言う少年…3歳の子がそれを自分の考えで言うだろうか?可哀想に,彼はそう言われながら育ったのだ。発達障害に気付かず、思ったように育児ができない親御さんの悲しみと怒りの爆発の言葉を浴びて。
そうして自分も、うまくいかないことがありストレスを感じた時にはそう叫ぶものと思い込んでしまった。その言葉の暴力が、さらに彼を孤立した世界へと追い込んで行った。
対して息子はほんわかとおとなしく、たどたどしい言葉ながらも優しく、おままごとやぬいぐるみの世界で遊び、にこにこ笑うので、ご両親が早くに障害に気付いてケアをしながら私たちに預けてくださったから,私たちもやりやすいし,子供達も受け入れやすいと園の先生は言ってくださったのだけど、私は素直に喜べない。
私にも暗い,真っ黒な雲の渦のような辛い感情がいっぱいになったことが数えきれないくらいあった。安定している時の息子は天使だし,最近は本当にパニックを起こさなくなったけれど、その回数が多く、しかもよりによってこの場で!?と思うようなところで泣き叫ばれたりした時は、「どうしてそんなにママを苦しめるの!?」って叫んだことが何度もあった。その度に息子は,少し驚いた,不思議に遠い目をして私を見ていた。
ある日息子がぬいぐるみで一人遊びをしていて、回らない舌で「どって(どうして?)もななに(そんなに?)くっくめうの!?」と言っているのを聞いて愕然として、二度とそんなストレスのぶつけ方をすまいと私は身を縮めて誓った。
頑張っているとよく褒めてくださる方はいるけれど、いつも私には崖の縁が見えている。ふとしたきっかけで、なんの障害もない人でも対人関係にひずみを起こしたりして,心の闇にハマるという不幸には遭遇するし、物理的な不幸もあるだろう。人は小さなことで幸せにもなれるし不幸にもなる、たぶん誰しも薄氷を踏んで生きているのだ。
そんな大人がバランスを崩した一瞬にふりまくストレスの攻撃が、なんの罪もない,抵抗する力もない子供を傷つけ、傷を抱えた子供が成長して傷ついた人間になる…。
そんな連鎖が断ち切られれば良いのに、と思いながら,今あの幼稚園を卒業して、どこかで新しい生活を始めている男の子のことを思う。なんとか彼が癒されますように。彼の悲しい想い出が封印されて、ずっとずっと楽しい気持ち,言葉だけ積み重ねて生きて行ってくれますように。
まさにそれで、こうしていろんな経験をし、息子のことで悩みながらも日々,私はまあまあ幸せに生きており、当の息子自身は元からとても幸せで、それが何よりなのだと幼稚園の先生に言われたのに、泣きたくなることがあった。
息子の一つ上の学年,この春から小1になっている子でやはり同じ広汎性発達障害の男の子がいた。
その子は息子と違ってものすごく口が達者で、私はそれが羨ましかったのだけれど、話している内容をよく聞いたことはない。
覚えているのは息子が最初になつき、私も心から尊敬している保育主任の先生のことを一途に求めていて、他の先生にあやされながら,数分の間に何回も「ねえ、○○先生は?○○先生はどこなの?○○先生に会いたいよ」と言い続けていたことだ。ああやっぱりあの先生は愛されるんだなあと思いながら聞いていたのだが、ついこの間伺えば,その子がやはり対人関係において障害があることを周りの子らに理解してもらい、優しく広い心で包んでもらおうにも,何か想い通りに行かないことがあると「ばかばか!お前なんか消えちまえ!」「死んじまえ!」と叫ぶので、なかなかうまくいかなかった…とのこと。
そう聞いて,言葉もないほどショックを受けた。
入園当初からそれがもう口癖になっていたと言う少年…3歳の子がそれを自分の考えで言うだろうか?可哀想に,彼はそう言われながら育ったのだ。発達障害に気付かず、思ったように育児ができない親御さんの悲しみと怒りの爆発の言葉を浴びて。
そうして自分も、うまくいかないことがありストレスを感じた時にはそう叫ぶものと思い込んでしまった。その言葉の暴力が、さらに彼を孤立した世界へと追い込んで行った。
対して息子はほんわかとおとなしく、たどたどしい言葉ながらも優しく、おままごとやぬいぐるみの世界で遊び、にこにこ笑うので、ご両親が早くに障害に気付いてケアをしながら私たちに預けてくださったから,私たちもやりやすいし,子供達も受け入れやすいと園の先生は言ってくださったのだけど、私は素直に喜べない。
私にも暗い,真っ黒な雲の渦のような辛い感情がいっぱいになったことが数えきれないくらいあった。安定している時の息子は天使だし,最近は本当にパニックを起こさなくなったけれど、その回数が多く、しかもよりによってこの場で!?と思うようなところで泣き叫ばれたりした時は、「どうしてそんなにママを苦しめるの!?」って叫んだことが何度もあった。その度に息子は,少し驚いた,不思議に遠い目をして私を見ていた。
ある日息子がぬいぐるみで一人遊びをしていて、回らない舌で「どって(どうして?)もななに(そんなに?)くっくめうの!?」と言っているのを聞いて愕然として、二度とそんなストレスのぶつけ方をすまいと私は身を縮めて誓った。
頑張っているとよく褒めてくださる方はいるけれど、いつも私には崖の縁が見えている。ふとしたきっかけで、なんの障害もない人でも対人関係にひずみを起こしたりして,心の闇にハマるという不幸には遭遇するし、物理的な不幸もあるだろう。人は小さなことで幸せにもなれるし不幸にもなる、たぶん誰しも薄氷を踏んで生きているのだ。
そんな大人がバランスを崩した一瞬にふりまくストレスの攻撃が、なんの罪もない,抵抗する力もない子供を傷つけ、傷を抱えた子供が成長して傷ついた人間になる…。
そんな連鎖が断ち切られれば良いのに、と思いながら,今あの幼稚園を卒業して、どこかで新しい生活を始めている男の子のことを思う。なんとか彼が癒されますように。彼の悲しい想い出が封印されて、ずっとずっと楽しい気持ち,言葉だけ積み重ねて生きて行ってくれますように。
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