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2014.11.29 Saturday

未来きらめく

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    お友達からお誕生日のプレゼントが届く、
    ふわふわで軽くて可愛いピンクのバッグ。
    ちょっとお買い物に出るのにぴったりの大きさ、素材、使いやすさ。
    さすが我が友、わかっているなあ、と唸りつつ
    ありがたく使用開始。

    突然雨が降ってきた。
    それもけっこう大変な量だ。
    予報では曇り、午後少し雨?ということだったのに、10時すぎに出かける時点でザザ振りである。
    私やオットや娘はほぼ車だからいいけれど、早朝からヘルパーさんと動物園に出かけた息子がそろそろ現地につく頃だろうと気を揉んでしまった。

    幸い、介護センター経由で連絡がついて、ヘルパーさんに行き先変更の旨をお伝えすることができた。動物園を楽しみにしていた息子にはがっかりだけれど、その分品川のアクアリウムで楽しんでもらいましょう。
    きっとイルカのショー楽しいから、と心の中で話しかける。

    そして残りの3人で出かけた先は、娘の再来年度の進学先候補の一つに考えたいとある大学。
    素敵なキャンパス。
    実は別の、家から近いとある学校をほぼ第一志望に決定していたのだけれど、説明会が始まり、キャンバスを見学させていただいて、相談しているうちに、カリキュラムとしてこちらの方が娘の希望にぴったり合っている気がしてきてしまった。
    乗り換えなしでいける先の大学と比べて、途中で乗り換えがあるにはあるが一回だけだし、家からの距離も実はそれほど遠くない。ドアtoドアで40分ほど。車だったら渋滞なしならその半分である。
    いいんじゃないかと私の方がドキドキしてきた。
    そうしたらオットが、こちらの方がなんだか良くないか?こちらに志望を変えないか?と耳打ちしてくる。
    やっぱり夫婦で感じることは同じだ。
    あとは娘がどう思うかだ、と様子を見ていたら、娘が決断した。
    私、ここの大学が好き、と。

    帰宅してしばし娘とあれこれ話す。
    受験はまだ先・・・とは実は言えない。
    もう各大学で冬期講習が始まる。それらを受けておくことは入試にも影響する。できればAOで決めて!というのが私の願いでもあり、早く楽になりたい娘の気持ちでもあるからだ。
    冬期講習がまた、悩む大学二つがぴったり同日程に重なっていて、現時点でもうどちらを選ぶか決断しなくてはならない。
    今朝の今朝まで志望校は2回足を運んだA大学に決めていた。冬期講習の申込用紙もすでにがっちり記入済みで、あとは費用を振り込むだけ。
    ただその前に念のため、B校もまた見ておこうよ、という気軽な気持ちでの本日の見学だったのだ。
    ただもう何年も前からとてもいいよと噂にきいていたから、もしかして気持ちが変わることがあるかもね、なーんて話しはしていたのだが。
    案の定というか、ある意味運命的に。
    本日出会った学校にピピっときた。
    頑張る。娘がこくんと首を振りながらつぶやいた。
    静かなる闘志。
    わりと火が点きにくいタチの娘なのだが、点いたらかなり一途なタイプ。
    母はそれを応援するだけ。
    ああなんか。
    大きな運命に向かう小さな一歩の最初の決定だったかもしれないなあ、という予感がした。
    不思議に胸がときめいている。

    息子も元気に帰ってきた。
    アクアリウムは楽しかったらしい。
    でも来週はやっぱりどうしても動物園に行きたいそうだ。
    それもいいかもね。


    2014.11.28 Friday

    穏やかな日もジェットコースター

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      予定のない1日だったはずなのに、気がつけば黄昏時になっている。
      その分、お家がこざっぱりしたり、年末に向けて処分・整理したいものらについても少しは作業が進んでいるから、思い残しはないけれど。

      年々・・・どころか、日々、時が過ぎるのは早いという感覚が強まっていく。
      息子の背が伸びること。
      見るたびなんだかちょっとずつ大きくなっているよう。
      小さく可愛く、抱きしめると体にぴったりフィットする感じだった幼子の感触が、まだつい最近のことのように私の身には残っているのに、息子ははるかに大きくなって、娘もまだ背こそ私より小さいけれども、日々女らしくなっていく。
      寂しくないと言えば嘘になるけど、それよりずっと、頼もしいという気持ちの方が大きい。
      年末進行の一環として、今年のうちに会えたら会いましょメールをやりとりしている友らとも、
      上の子達はもうあと2年ちょっとで成人式だよ!と驚きの言葉を交わし合って、信じられない感に浸る。
      お互い母としてとても頑張ったよなあ、としみじみ仰いだ空がもう夕暮れだったのだ。
      この季節の空は空気が乾いて澄んでいるからか、昼も夕も美しいと思う。朝はもちろんだけれど。


      長年の、本当にまだ15の頃に出会って以来の盟友のお子が成人間近にして、自立を目指してでていくのだという。
      声優になるという夢をおいかけ、神戸での私の友を母とする暮らしを後にして、これから上京してくるのだそうだ。
      友とはだから、近年になくいろんなことを話したのだけれど、思い返せばそのお嬢さんと同じ年頃、私も友も母にそれほど従順ばかりではなかったはずなのだ。
      友はいきなりバイクの免許をとり、乗り始めてお母様を多いに心配させたし、私だってせっかくの就職口を蹴飛ばして、違う会社へ転職したりして母をとても不安にさせた。
      自分たちではもう十分大人で大丈夫、という心意気でいたけれど、今思うとすごく子供で、思いつきと衝動で身の振り方を決定してたよね、と話し合いつつぞっとした。
      よくぞ無事に、互いにここにいるものだね、なんてちょっと過剰なくらい過去を危なっかしく思い出したりして。
      結局、友人Cにはもうそれ以上、お嬢さんの希望に待ったの声をかけないように、ただいつも案じ思っていること、好きな時に帰ってきて、必ずいつも待っているかと伝えてあげれば、と話した。
      我が子はまあ首都圏住まいということもあり、大概の夢は自宅から通うことで可能なのだが、それでも何かの大志を抱いて、どこか遠くへ旅立つとなったら、私だってどんなにか心騒がせ、悩み、不安材料を言い立てて引き止めようとしてしまうかもしれない。
      まあ、うちの子の場合、そういうことを言いだしそうにないタイプなので今の所安心なのだが・・・。
      友人Cのお嬢が望む、都心に近い人気の街の女性限定シェアハウスというものについて調べ始めてあら楽しい。
      なんて可愛く素敵なの!
      こういうところが30年前に有ったら私も、母をふりきって、えいや!と家を飛び出していたなあと思ってしまった。
      運命を変えるきっかけなんて、意外にすごくあっけないもの。
      チャレンジ精神あるからこそ生活に変化が生まれて道は開ける。
      わかってはいても、母ともなればそこに変化はあまり欲しくないのねー。
      こういう実感も加齢ならではのことなんだなあと妙に感心してしまった。



      2014.11.27 Thursday

      健康な胃とアップルパイ

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        とても大切な友人が、先日の健康診断で胃のレントゲン検査をしたところ、小さなポリープが見つかったのだという。
        その時点で、おそらく心配することはないとの所見だったが、やはり万一のことを思うと心配なので、正式にきちんと胃カメラの検査を受けることにした。
        それが以前、私が足掛け5年に渡ってお世話になっていたクリニックである。

        やめて以来ご無沙汰すぎて気にしていたので、手土産ケーキなど持参して私ものこのこ参上。
        手前味噌だがかつての上司たる先生は、大変名医でいらっしゃるので、遠く噂をききつけて多くの人が訪れるため、今日も診察室は満杯。元同僚たちは大忙し。
        私なんかまったりしちゃって、この戦場にはもう戻れないわあとしみじみしつつ、友が検査を終えて出てくるのを待った。
        やはり先生は名医でいらして、本当に胃カメラ検査がなにもつらくなかった、そして結果は良好、問題ありませんと診断もいただいて、大喜びの友と一緒に私も喜ぶ。

        もう何を食べても大丈夫、ワイン飲んでもいいよ〜と、元同僚らに見送られながらランチ。
        私も長生きするつもりだけど、それには友らも元気で一緒に長生きしてくれないと困る。
        今後もくれぐれも気をつけてねと言いながら、美味しいパスタをぱくついた。


        お店自家製のアップルパイ。
        本当に甘くて大きな柔らかいりんごの果肉が
        ごろんごろんとはいっていて
        美味しいことこの上なし。
        こんな日もまたよきかな、というところかな。

        2014.11.26 Wednesday

        金色の日々

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          今日から子供達も登校で、4日ぶりくらいに一人の時間が持てたとほっとする。
          家族や友と歩くことも楽しいけれど、一人銀杏並木の下を歩いて行くのもなんだか幸せ。
          通りは金色。

          一つ一つ大きな行事が終わっていって、年末年始の予定がほぼ出揃ってきた感がある中、おっとり家事を片付けていいだけの平日は、なんにもないなりに幸せである。
          特別大きな幸運もなく不運もない、穏やかな現状をただ感謝して。
          秋から冬へのこの季節に、気持ちはただ上がっていく。

          2014.11.25 Tuesday

          餡子は語る

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            週末に学校行事で登校していた子供達は引き続き、本日も代休ということでおやすみである。
            ということはほぼ私も楽勝の1日ということで、まずは朝がゆったりなのだが、オット一人は通常営業。
            なんども手帳アプリを確認し、休めないなあと吐息をつきつつ出かけるオットを見送って、思う存分のんびりした1日。


            オットのお知り合いの方がくださった、これはとても素敵な
            美味しいあんぱん。

            広島の方で、その地元での名物だということで
            東京にいてもお取り寄せして、
            いろんな方にお贈りしているのだとのこと。
            特に、あんぱん大好物、という訳ではない私だけれど、
            そんな私でさえこれは!と思わされたのは、


            凄まじいまでの餡子のボリューム。
            手に取った瞬間、ずしん!と、予想を超える重さに驚くほどの、
            それは圧倒的な量。

            パン一個で290グラムってすごくないですか?

            そうして食べてみたら、本当に、それはそれは美味しい、素敵な素敵なあんぱんだったのだ。
            アンコの甘みは上品で、舌触りも程よく滑らかに溶け、あっさりしているようでいながら、心に残る。
            ああ、これは、また食べたいなあ、母にも友にも食べさせたいなあと心から思えてしまった。
            朝食に、軽く温めてオットと二人、半分ずつで頂いたのだけれど、それでちょうどいいほどのボリュームだから、経済的にもむしろ良いかも。
            広島在住時の3年間を思い出し、逢いたい人たちの顔も次々に浮かんだりして、懐かしさにも浸ってしまった。
            人生でよかったと思う経験はいろいろあるけれど、オットの転勤時にお世話になった広島での思い出は、今もとても大切な宝物の一つ。
            もう少しして時間ができたら、ぜひまたゆっくり遊びに行きたいねえ、としみじみ話し込んでしまった。

            2014.11.24 Monday

            鎌倉も秋

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              三連休最後の日だから、お家でのんびりしようかとも言っていたのだが、オットが自分は元気でどこかに出かけたい気分だというので。

              鎌倉の長谷寺へのお詣りをまたさせていただくことにした。

              前回お詣りしてから、良いことが、ちょこちょこ続いている我が家なので、そのことの御礼方々、さらなるお願いをまたしてしまおう、ということで。

              男性でもなく、女性でもないと言われる観音様が私にはまだよくわからない。
              ほとんどの場合、女性的に表されているものが多いように感じるし、イメージするところも母性なのだけれど、長谷寺の巨大な金色の観音様のお顔には、ナマズのようなお髭が見える。
              微妙な気持ちになりながらの神妙なお祈り。
              なんでもいいのです、ただ、皆が健康で、世の中が平和であれば、と。

              お天気がよく、眺めが素晴らしかった。
              割と頻繁に来れる我が家はすぐに、後から来た方たちに場所をお譲りするようにしたけれど、
              それでもさっと見渡した景色から受ける心地よさは胸にずっしり残ってくれる。


              秋の鎌倉はまた美しい。

              今回子供達に買い求めたお守りは可愛い。

              娘と、息子までもがイチゴのお守りを選んだ。

              いちごの意味。


              坂道をくだっていく道の果てには海が見える。
              その手前には時を数十年も遡ったような気持ちにさせられる小さな踏切、
              折しも通りかかった江ノ電。

              昼食の席に着けば、間近に江ノ島。

              美味しい、桜海老とシラスのパスタ。

              息子が選んだデザート。

              晴天で、暖かくて、美しくて。
              充実の秋の鎌倉日和。

              2014.11.23 Sunday

              やはり我が家の幸せは

              0
                先週、ヘルパーさんと多摩動物公園に出かけた息子が
                買ってきてくれた家族へのおみやげ。

                可愛い人形焼。
                美味しい味です。

                のんびり朝寝坊していいのに、早めに目がさめる。
                でも家族を起こしてどこかへ送り出さなくては、と思わなくていい朝はうれしい。

                昨日学校で、私の友人に「⚪️さんのパパは、月に何回くらい合唱に行ってらっしゃるんですか」と質問されて、えっ!と口ごもったオット。
                私が横から6回は行ってるよ、というと、仕方なさそうに、でも恨みがましそうに私を見たけれど、本当だもの。友人も思わず笑っていたが、多いんです。
                大体自分でさっと言えないあたりがもうまずいでしょう。
                黙っていたら三つの合唱団に入って、歌ばかり歌っている。
                さすがに本人も行き詰まって、三つ目の団体は今度の第九の本番を最後に辞めると言っているけれど、そもそも三つ目に入ったのは調子にのりすぎだったというものだ。
                イベントのたびに騒がれる私はいい迷惑で、常に彼の都合に振り回される形になる。
                日頃ちょっと出かけるにも一人で全く支度できないオットが休みに合唱に出かけるのを、私が積極的に手伝いたい訳はないのだ。まして車で送って欲しそうにするのは完全にスルーして、オットを見送った。
                でも実は、非常にのんびりできて幸福な平和を子供達と味わえたのだった。
                いつも非常にパワフルで、いろんな希望要望して欲しいことが多いオットがいないと、マイペースでことがすすむ。
                それって幸せ。
                そんなことを妻子が実感してしまったら、後々オットの立場はちょっとやばいことになろう。
                やっぱり趣味もほどほどにした方がいいね、たぶん。

                2014.11.22 Saturday

                よく頑張りました

                0
                  昔で言う所の学芸会的な行事が、今年は娘と息子それぞれ別の学校なのに重なってしまった。
                  本日である。

                  変則的な予定になっていて、いつもは給食の息子にお弁当を作らなくてはいけないし、娘の登校時間はいつもより1時間も早い。
                  てんやわんやを絵に描いたような朝になってしまったのは、私がいつもの土曜日のままのアラーム設定にしていたおかげで、予定より1時間も遅く起きてしまったからだ!
                  いつもはアラームなしで自然と夜明けに目が醒めるのに、今朝はほぼ真夜中と言っていいくらいの早朝に目覚めてしまって、そこからもう一眠り・・・と目を閉じなおしたのがまずかった!

                  慌ただしく娘と息子を無事に送り出せた時には、ものすごくほっとした。本当によりによってな私の寝坊で、気がつけば朝食をとっていなかったので、娘の学校そばのカフェで一服。

                  それから夫婦で早めのランチの手配をしてから、先日もたらされた情報による激安な土地を見にいく。
                  相変わらず、なんとか小さくても好きなお家を建てるべ〜という計画を止めたり進めたりしていて、最近また不動産屋さんに連絡をとって、1年後くらいを目標に(本当は2年くらい後でもいい)どこか良き場所をと求めてさすらっているのだ。
                  小高い場所のその土地は見晴らしがよくて、今日の澄んだ秋晴れの空の向こうに富士山が見えた。
                  これだけ何年もずっと、なんとなく時々、家とか土地を見に行っているというと皆によほどの場所をさがしているのね、と言われるのだが、そうではない。お金がないから難しいのだ。
                  資金潤沢ならきっと、探せばすぐそこそこのところが見つかる。我が家の場合、元手がないのに高望みしているので難しい、というそれだけである。
                  オットは不動産屋さんが出してくださるいろんな手頃な物件にがんとして首を縦に降らない・・・まあ、賃貸で現状満足なので、本当にピンとくるものがあるまで粘る、と最初から宣言しているので、私も不動産屋さんに謝りつつ苦笑しながら見ているのだが、地下の上昇だけは困る。当座、アベノミクスが成功しなくてよかった、と個人的には思っている。もともと、私たち一介の主婦の身の回りのどこにも景気のいい風なんて吹いていなかったので、なんのことだろうなあとずっと思っていたのだ。難しいお話は一切わからぬスポンジ頭だけど。


                  息子は頑張っていた。
                  娘も頑張っていた。
                  二人とも、すごく立派で偉かったから、
                  ご褒美にはやっぱりご馳走でしょうということになった。
                  くくく・・・こうして倹約の牙は折られていくのね。。。

                  炭火の熱と色合いに心が踊る。

                  こうなったら食べるべし!

                  明日から節約とダイエットだ〜っと叫びながら頂いた
                  近所の牛角さんのファミリーセット。
                  安くてお得、そして美味しく!

                  これで2学期最大のイベントはひとまず終わった!、と一息つけた夜になった。


                  2014.11.21 Friday

                  夕暮れ

                  0
                    この時期、日が暮れるのが早いと思う。
                    息子と一緒の帰り道はまだ4時前後なのに、もうこんな空。
                    きれいだなあと感動し、無意識にやっぱり祈りたくなる。

                    小さな子の虐待の報道を聞くといつもしばし、非常に重い気持ちになる。心も体も頭の中にもただ哀しみのしみこんだおがくずだけがいっぱいに詰め込まれてしまったような気分になる。

                    想像力を止めよう、と必死で呼吸する。
                    どんなにその子が怖かったか。痛かったか。寂しかったか。悲しかったか。ひもじかったり、寒かったりして、でもその傷口の痛みを誰に訴えることもできず。
                    最愛の、最大の救世主であり、愛情の源であるはずの母や父らに、幼い心と体は訳も分からず痛めつけられていくのだ。死ぬほどに・・・。
                    いけないいけない。
                    どんどんどんどん苦しくなる。
                    もう考えるのをやめよう、と深呼吸する。

                    言ってはいけないことかもしれない。だけど息苦しいから言いたくなるのだ。
                    子供を産んではいけない人ってやっぱりいるよね、と。

                    恋は手軽な起爆剤。ありふれた日常に煌めきのエッセンスを添えてくれる。その恋愛が発展して結婚・出産なんてことになればとても素敵そう・・・と感じる方はとても多いのかもしれない。
                    けれど結婚・出産イコール幸せ、とはならない。
                    二人で一緒に歩いていきます、というスタートはロマンスに満ち溢れているかもしれないが、実は非常に「普通の生活」への道の第一歩であることに他ならないんじゃないかと思う。

                    生きるということにはお金が要る。単純に。
                    暮らし始めたその瞬間から、お金はいるのだ、二人分。

                    自分が欲しい、したい、と思う物事に必要なだけのお金をまず自分が稼ぎ出していけるのか計算してみる。
                    楽してすぐにお金を稼げる手段をお持ちの方ならいいけど、ほとんどの方はそのような幸運には恵まれていらっしゃらないことだろう。
                    自分が欲しいと思うだけの生活を手に入れるにはそれなりの対価としてまず、自分の時間を相当そこに注ぎ込み、気を使って体力を使って働かなければいけないはずだ。
                    基本の8時間労働を月に22日繰り返したとして得られる収入と、
                    自分たちがしてしまうであろう支出をまず算出すると、そこにさらにもう一人分の生活費があるかどうかはすぐにわかると思う。
                    小さいとはいえ、ベビーちゃんは立派な人間。お金がないと生きていけない。
                    しかしお金も時間も背負っては生まれてこない。その上、自分のことも自分でできない。こちらのお金と時間と手間と気力を根こそぎ持っていくことになるわけである。
                    それじゃあ困ると思っても、だからといってすぐ支援してくれる機関は皆無に等しい。

                    子を育てるために必要な時間はまず、産みての女性が物理的にも仕事ができなくなるから基本はそのまま育てることにもほとんどの責任を持って遂行していくしかない。
                    これが結構たまらない。自分の体の中から全く別の生命体を作り出し生み出すということをしてのけるためには、自分の体も大変革を行っているわけで、まあ、年齢にもよるのかもしれないけれども、ホルモンのバランスは崩れて体調が変わるし、びっくりするほど抜け毛もあったりして、最初はなかなかすぐには通常(と自分が思っていた母体になる前の時代)に戻れないのだ。
                    その上で赤ちゃんは泣く、泣く、泣く。泣いて泣いて泣きまくる。もうそれはしつこいなんて言葉ではすませぬほどに泣く。おっぱい(ミルク)おしっこ、うんちの果てしのない繰り返し。
                    身も心も疲弊するのはあっという間だ。
                    ところが傍にいるパートナーの男性は、それがピンとこないのである。
                    赤ちゃんが泣き、女性が必死であやしたり、ミルクをあげたりオムツを変えたりして起きている間も男性はただ眠り続けるという人はとても多い(うちもそうだった)
                    赤ちゃん誕生の瞬間から、女と男の間には体と心の両方にかなり温度差がある。
                    これを埋めていかないと、その後のペアとしての関係は必然成り立たなくなっていくのだが、そのための努力や考え方にはかなり、大人としての精神的な成熟度が求められる感じで、ここらでつまづく人はとても多い。
                    甘々の恋人同士の関係が、いっきにリアルにシビアになっていく・・・そういう段階である。

                    しかし男性もまた大変なはずだ。
                    それまで女性が働いていた分を埋めて、さらにベビーちゃんのオムツ代(月7、8千円はするのでは)と、粉ミルク(月5千円はするかな)、着るもの、食べる物、車やそれに付随する義務のあチャイルドカーシート、ベビーカーなどなど必要な物を購入し、与え続けていくこと・・・は、一気に男性が稼ぎだすしかないのだ。(女性が異様に体力があり、要領よく立ち回れてすぐ仕事復帰できるとしても)
                    でも、それ、たぶんいきなりは無理だろう。勤め先に報告しても、若干の福利厚生手続きがあるくらいなものである。扶養手当は微々たるもの。
                    残業増やして働いても得られるお金はそう多くないことが普通だ。
                    今まで買っていたもの、食べていたものを減らし、働く時間を増やすという禁欲的な世界に突入することでしか、その事態を生き延びる術は、普通はないのだ。

                    その苦労を共に楽しみ、くぐりぬけていける気持ちの余裕がもてるほどの恋であるのなら。
                    二人の間に生まれてきた赤ちゃんは、お金は全くもっていなくて、むしろこちらのお金と時間を食いつぶすだけの非常に重たい存在だけれども、かわいいかわいい愛の結晶であることに間違いはない。
                    そう思えた時点で、やっとその結婚と出産は幸福なものになる・・・。
                    まあ、そこから先がまた大変、長いんだけれども。

                    虐待されたお子さんのお住いの状況やご両親(とされる人たち)の様子を報道の画像や言葉などでちらほら伺うになんとなく、同じような気配を感じる。幼さ(ご両親の実年齢に限らず、まあまあの年であっても精神的な)が現実に対処しきれなかった結果、そこから生まれたストレスが、一番無力で弱い存在に向けられた、という悲しすぎる結果になってしまったのだと思えてならない。
                    素敵な恋と結婚の結果が、そんな不幸になることが多いのなら、やっぱりちょっと考えるべきだと思うだろう。少なくとも出産はちょっと待って、と。

                    生まれたはずの子供が1000人以上も所在がわからないでいるという恐ろしい国に、日本はいつのまにかなってしまっている。
                    その現実の根元にもおそらく、少なからず経済的問題と精神的に未熟な両親という問題があるのであろうと思う。だからやっぱり、出産はな誰でもしていいものではないと言いたくなるのだ。

                    昔、私は施設に捨てるように預けられている子供さんたちは不幸で哀れだと本当に思っていた。今では、施設に預けるという選択肢と行動をしてくれる保護者がいただけ、そのお子さんたちは幸せだったのだと心から思う。

                    悲しいけど、その現実に立ち向かっていく力が私には全くない。祈ることしかできない。
                    ある意味、どんな事故や災害のニュースよりも辛く思える。
                    私は父が若くして癌を患い、余命幾ばくもないと宣言された状況の中で生まれた。生後4ヶ月で父は亡くなり、母は貧困の中必死で私を守り育ててくれていて、心配した周囲にお見合いを進められて出会った継父と再婚。妹も生まれて、物心ついた時から私は普通の家の普通の子供でしかなかった。
                    ありがたかった、と今にして思う。
                    当時、私が当たり前だと思っていたことは、実は全然当たり前ではなかったのか、と・・・いや、そんなことはない。
                    当たり前なんだと思いたい。
                    誰もがそうあって欲しいと、やっぱり祈ることしかできない。

                    2014.11.20 Thursday

                    孤独の意味

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                      息子と一緒に、毎日2回は通る街角に、
                      こんなものが立っていた昨日の朝。
                      先週、いかにも「ロケハンで〜す!」という格好のおじさん達(失礼)が
                      うろうろなさっていたので、いずれドラマの撮影があるんだろうなあと
                      思っていたが。
                      誰?何?と思っていて
                      今朝聞いたら、今やっている旬なドラマの旬なアイドルさまだった。
                      観たかった・・・おもわず、母たち全員でつぶやいてしまった。


                      昨日はまたPTAの仕事があり、息子の学校へと出かけた。
                      通い続けた9年間、かなりいろんなお役をさせていただいて、もう十分かなと思ってきていたのだが、結局最後の最後まで私はなんかやる感じである。
                      メンバー的には最強チームだから問題ないし、担当の先生も話しやすくて、非常に気のつかれるできる方。つまりは楽しく仕事できそうだから、まあいいんだけれど。


                      お腹ペコペコ状態で、皆が妄想するお店は決まっている。
                      学校近くの美味しいお蕎麦屋さん。
                      こちらのセットが大好きな私。
                      息子が卒業しちゃったらもう食べにこないなあと思うと、
                      若干ならず寂しい。
                      まあ、食べにきたってもちろんいいのだけれど!

                      子供達は若く、未来があるけれど、私たち親はもうたぶん人生中盤、振り返ったり、否応なく受け止めたり、という世代である。
                      子のバタバタは足掛け何十年にも及ぶが、それもだんだん先が見えてきて、寂しかったりホッとしたりで複雑な中、さらに切ない気持ちを書き立てるのが老いゆく親たちの存在なのだ。
                      親の介護は避けがたい現実。
                      向き合い、精一杯努めを果たしたいと思うけれどもその先は、また老齢にさしかかっていく自分と向き合うことになるんだねえ、というと、さすがの元気ママたちも苦笑するしかなかった。
                      嫌かといえばそうではない。
                      結婚出産育児介護とやりきるフルコース(中には離婚含む人もいる。再婚含む人もいるかも)。
                      フランス人ではないけれど、それが人生、というところかな。

                      忙しい、けれどふっと孤独を感じるよね、という話でも盛り上がる。
                      それはもう仕方がないよね、と。
                      感じないという人もまあいるけれど、概ね、ふとなんだかひとりぼっちだと痛感する、という人の方が私の周りでは多い。
                      一人好きの私でも時に、ふと孤独感を覚えることはある。
                      というか、ものごころついた時からずっと、孤独感は私の傍にあって、それはもういっそ友達のようですらあるくらい馴染み深い。
                      ところが私は案外交友関係が広くて、日々の予定も気をつけて苦しくない程度に調整するほど、接する人には困らないのだ。
                      おかげさまで、良い感じでおつきあいできる方たちに恵まれている。
                      でも、寂しさは常にある。
                      他と相容れない自分だけの孤独はある意味、私にとっては王国でもある。そこがあるから私がある、とも言える。

                      ただ私の身近で私を悩ます存在・・・妹や義母のことでいうと、この二人は共に大変な寂しがりだということで共通しているのだ。
                      義妹とも話して、似てるね、といったのだが、その寂しさを「不幸」と認定することによって、二人はひどい鬱にはまっている。
                      狂おしいほどに人との交流を求め、仲良くなりたいあまりに非常に深い内輪の話にまで食い込んだ挙句に親しみきれずに相手から切り離されてしまうという矛盾。
                      そのことによって傷つき、さらなる孤独が胸そこから湧いてきて、なお一層激しく重く、埋め合わせをつけるべく、違う人とのつながりを求め続けて・・・というループ。
                      幸せ、不幸せの初期設定自体がまあ、間違っているかな、と思うのだが、リセットすることができないらしい。

                      受け入れがたい物事の前で人は嘆き、不幸を感じる。
                      いいことばかりじゃないけれど、いいことだってまああるのが人生かと思えば、たまのアンラッキーも燃料にして、やっぱり前に進むしかない。
                      ふとした人の弱みにつけこむ人に出会うアンラッキーは気合ではねのけ、事故と病気に気をつける。そこはオバさんらしくパワフルでいい。
                      せっかくオバさんになったのだから、オバさんらしく強くなって、人生をもっと楽しみたいな。
                      一人の時間も楽しいから、そう言えるのかなあ。

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